沿革
筑紫医師会は前身を「筑紫郡医師会」として明治40年3月2日に正式に 設立が認可されている。 同じ時期に粕屋郡、三井郡、朝倉郡も医師会設立が認可されている。 筑紫郡医師会の前進は、「那珂御笠蓆田医師組合」が明治16年12月25日に通 達された「開医組合設置法」に基づいて結成されている。 そして明治29年に那珂・三笠・蓆田の3郡が合併して「筑紫郡医師組合」に引き継がれ、明治39年の医師法第8条に基づいて、明治40年1月に筑紫郡医師会が発足した。
当時の筑紫郡医師会は広くて博多区(東中州、西中州、 警固村、住吉町など)、東区(堅粕町、千代町など)、南区の一部などが含まれていた。 しかしその後、昭和8年までに筑紫郡下の町村が次々に福岡市に合併されている。昭和47年4月1日より春日市、大野城市、筑紫野市が誕生し、これにより筑紫郡医師会から「筑紫医師会」と改称、昭和57年4月1日には 太宰府市の 誕生で筑紫医師会管内は4市1町(唯一筑紫郡の名を冠するのは那珂川町)となり、さらに平成30年10月1日には那珂川市が誕生し、5市体制となった。福岡市近郊の都市として、発展を続ける自然環境が豊かな文教・歴史・住宅地区であり、現在、管内人口は約42万人である。
筑紫医師会の歴史
- M40年3月
- 筑紫郡医師会が設立認可
- S37年5月
- 医師会館・看護学院竣工(太宰府市・観世音寺)
- S47年4月
- 「筑紫医師会」と改称
- S57年4月
- 筑紫野市・太宰府市・春日市・大野城市・那珂川町の4市1町体制となる
- S57年7月
- 太宰府市・国分に現在の医師会館・看護高等専修学校竣工
- H6年3月
- 多目的ホール完成
- H9年
- 創立90周年記念
- H11年
- 筑紫医師会ホームページ開設
- H11年
- 筑紫医師会訪問看護ステーション開設
- H19年
- 創立100周年記念
- H26年4月
- 一般社団法人へ移行
- H28年4月
- 在宅医療・介護連携支援センター開設
- H29年
- 創立110周年記念
- H29年6月
- 筑紫医師会ホームページリニューアル
- H30年10月
- 筑紫野市・太宰府市・春日市・大野城市・那珂川市の5市体制となる
会員状況
(令和6年6月30日現在)
総会員数 | 506名 (A会員:医療機関の管理者・開設者)232名 (B会員:勤務医師)239名 (C会員:研修医)35名 |
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医療機関数 | 診療所(クリニック) 214件 病 院 25件 (法人22件、公的医療機関2件、国立1件) |
救急指定病院 |
済生会二日市病院 |
ロゴマークの由来
筑紫医師会は、新公益法人制度施行に伴い福岡県知事の認可を得て平成26年4月1日より非営利徹底型一般社団法人へ移行しました。
筑紫医師会所属の医療機関がすぐに分かるようなシンボルマークや会員証の作成を求める声が会員の先生方からは届いており、10数年来の懸案事項となっていました。
法人移行に伴い、会員にもアイデアを募集し、また印刷会社やデザイナーなどに依頼し、シンボルマークの候補を集め、検討を続けました。
日本医師会やWHO、救急車をはじめとする、医学や医療、看護学、薬学、救急のシンボルには蛇のマークが使われています。
キリスト教世界では蛇は、最初の女性・イブを誘惑したことから、呪われたる者、悪の化身あるいは悪魔そのものであり、悪者のイメージがあります。しかし、それ以前のギリシャやローマの世界で蛇は、知恵を表し、その脱皮する生態あるいは春先になると何処ともなく地中から這い出してくるという習性によって、生命力や再生のシンボルであり、死からの復活を象徴するものとして畏怖され、再生・復活・不老・豊穣として崇敬されていました。
古代ギリシャの医師であり「医学の父」、「医聖」、「疫学の祖」などと呼ばれるヒポクラテスの全集にある「ヒポクラテスの誓い」やギリシャ神話に出てくるゼウスの息子アポロンと人間の娘コロニスの間に出来た医神アスクレピオスが持っていた杖に絡んでいる蛇をモチーフにしたものです。
日本医師会会員章(バッジ)は医学を象徴する蛇に左上の胴から尾の部分に調剤に使用していた乳鉢と乳棒を図案化し、その上に日本医師会(JMA)の頭文字を配してあります。(昭和36年決定)。
筑紫医師会の会員証は日本医師会のシンボルマークにJMA(Japan Medical association)をCMA(Chikushi Medical Association)に変更した図案が採択されました。
紫色を選んだのは、「筑紫医師会」、日本書紀による「筑紫」、古事記による「竺紫(つくし)」の紫にあやかったものです。